縁 起
当山はもと丸香山薬師院と号し新義真言宗豊山派に属し、玉川八十八ヶ所霊場第四十八番の霊場で、吉良政忠が開基となり、世田谷城の裏手鬼門除けとして創建され、末寺六ヶ寺を擁した小本寺であった。本尊は不動明王で、当時は一行大師、弘法大師、理源大師の諸像が安置されていて、薬師如来は十二神将を伴い、他に巡行薬師一体があったとされている。米軍空襲により、本堂・薬師堂・庫裡を焼失した。幸い本尊不動明王・薬師如来像は戦災を免れた。その後、薬師像の修復を行ったところ、頭部を分離すると胎内に天正二十年(一五九二)九月付の古文書が発見された。これによると、中興開山の大僧都頼融が薬師三尊と十二神将を修復し、三尊の金箔の願主は関加賀守一家で、十二神将六体分の願主は大場越後守信久、同六体分は円光院開基権大僧都盛尊阿闍梨で、鎌倉仏師阿快翁が粉彩を施し、荘厳せられたことがわかった。現在、薬師堂に安置されている薬師如来立像と日光菩薩立像は世田谷区の有形文化財に指定されております。
本尊・不動明王立像
年中行事